当たる・当たらん・当たれ-喝采と苦悩の実証

コンサルティングファームに勤める男が世の中で喝采されている事象、モノや日々の苦悩を深掘りして考えたことを棚卸しします。

MBAの価値低下の原因とは?

 

「もっと勉強しておけば。。。」

 

平凡なビジネスマンたるもの、

一度はその思考に至った経験があるのではないだろうか。

 

私も、今正にその思考に直面している。だが、勉強は手段であり、本質的なものではない。勉強とは、思考する為の手段であり、思考力を磨いておけばという後悔が適切な言い方と言えるであろう。

 

今朝、こんな記事を目にした。

 

MBA出願件数、米国で3年連続の減少 - WSJ

 

MBAさえ取れば将来が有望であるとされていた時代が音を立てて崩れようとしている。

それは何故か?私はMBAの地位が下がった要因は下記にあると考える。

 

1.体系化された知識の価値の低下

現代は、誰しもが想像だにしない技術が生まれ、企業の事業に応用されている。体系的に知識を積み上げている間に、とんでもない価値が日々生み出されているということだ。MBAよりも、一つの実験の方が有益になることが比率的に多くなっている可能性がある。

 

2.学習プログラムの平準化

学習プログラムがどこも同じになっている可能性があるのではないかと思う。それは、オープンイノベーションに見る知識の共有化とMBAの乱立という側面で説明ができる。知識の共有化については、今やインターネットを通して様々なビジネススクールの授業を受講できる。また無数に設立されたビジネススクールは、トップ校のプログラムを参考にしないわけないのである。その為、今やMBA保持者はどこも変わりはないといえるのではないか。

 

上記の要因を要約すると「もっと大切なことがある」ということと「そんなに珍しくなくなった」という前提条件を踏まえて、メリットとコストとの比較から、行く価値が低下していると言えるのではないかと私は考える。

 

但し、私はMBAに行きたい派であり、MBAの知識及びビジネススクールの人脈は役に立つと信じている。

心の奥底にある想いは拭えない

 

現在、クライアント企業のオープンイノベーションの支援を行っている。クライアントは海外のベンチャー企業とパートナーシップを締結し、共同でデジタルサービスを展開するスキームを検討している。

 

イケてるスタートアップ企業は、VCや大企業が群がっているためか、交渉では強気な感じがするが、大企業では提供できない新しいサービスがシリコンバレーには溢れている。正に旬なビジネステーマであると感じている中で、下記の記事を目にした。

 

www.nikkei.com

 

筆者は、オープンイノベーションにおいて重要なことは「多様性を持つ」ということであると(ざっくり)述べている。そして、多様性というのは「異分野としての横」と「立場・年齢としての縦」の軸があるらしい。

確かに、自分の考えや立場に近しい存在しか周囲にいなければ、大胆な発想には到達できないということには共感する。しかしながら、私は思う。

 

「立場」を縦で切り取っている限り、我々はそこから離れることができない。

 

 

エスタブリッシュメント(政官財の主流派)、非エスタブリッシュメント

「持てる者、持たざる者」は確かに存在する。

 
しかしながら、そんなステレオタイプな差別的な考え方を持つ人間に一体どんな新しい世界が生み出せると言うのだろうか。

「革新」という言葉を語る人間は、そんなものをもろともしない世界を作り出してほしいし、私もそこに少しでも貢献したい。

 

それが、我々の周りにある課題なのだ。

 

不良になった瞬間から持つことができる一つの才能

中学校の頃、私の周りは不良に溢れていた。

私は野球部に所属していたが、その部は先生たちから特に問題視されており、その中で仲が良かった友人は地元では一番の不良だと目されていた。(彼は後に暴走族になっていた。)私は学年委員を3年連続で務めあげ、成績は良くて一般的には優等生の部類には入るタイプだったが、なぜかそういう不良とはウマが合った。(但し私も問題を起こしていたことは否定しない)

 

彼らは恐れられる存在でもあるが、一方で強い異彩を放っている。それに吸い寄せられるのは多くの人が頷けることではないだろうか。

昨年アメリカで起きた一つの出来事が海を渡り、ちょっとした話題になっていたことを記憶している方も多いと思う。

 

blogos.com

 

彼らが不良ということは断言できない。
ただひとつ言えることは刑務所にいるという事実だ。そして、刑務所にいるということは彼らが何か法律を犯したということだ。

そんな彼らがハーバード大学生に知性を求められる言葉の戦争、すなわち討論で打ち勝ったのだ。事実を耳にするだけで、彼らの努力を想像できるなんて素晴らしいのだろう。ただし素晴らしい出来事さえも、すぐに映画化の話が出てくることなんてめったにないだろう。そんなことが起きるのは、とてつもない魅力がなければ成し得ない。私が思うことは、彼らは不良(記事で言う犯罪者)になった時点で、ある大きな財産を与えられるのだと思う。

 

それは「劇的」を引き起こすことができることだ。「劇的」が起きた瞬間、彼らが見ている世界の色は大きく変わる。その劇的を求め、人は集まってくるのである。

一方で、世の中で喝采を浴びるためには、必ず人々の共感を生み出すストーリーが必要だ。ただ、劇的という要素は普段生活している人には決して身近なことではない。それが、なぜ共感を生み出すのだろうか。

それは失敗を繰り返す人間だからこその特性であると思う。

失敗しても、最後には成功する。(逆も然り)
誰しもが経験したことがあり、最も嬉しさ(悲しさ)が頂点に達する。程度の差はあれ、それが自身の経験と重なるのだろう。そして、失敗と理想の差を離せば離すほど到達した時の喜びは大きくなる。

つまり、「劇的」と人間の生き方は相関関係にあるのだ。(但し、皆「劇的」を味わえるわけではない。自ら経験を求めている人もいないだろう)不良は、その劇的を生み出すことができる存在だ。人が手に入れにくい要素を持っているのだ(与えられていると考えることもできる)

 

私はその可能性が、多くの人々を惹きつける異彩を放っているのではないかと感じてならない。


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直木賞作品「流」は語る-見えなくてもいい。そこにあればいい。

20年に1度の傑作と称される今年の直木賞受賞作品の「流」を読んだ。

同じタイミングでピースの又吉が書いた作品「火花」が芥川賞を受賞したため、
あまり大きく注目を集めていなかったがかなり面白かった。

 

台湾を舞台に主人公が祖父の死、高校中退(大学受験の失敗)、失恋など人生の辛い部分を経験して成長していく物語だ。ミステリー賞を受賞した経験がある著者なので、読み始めた当初は祖父の殺害にまつわる推理が展開されていくのかと思いきや、全く違う話に入り込むことがしばしばある(主人公も途中忘れていたとか、思い出したとか言ってるし。)

実際に読んでいて私もそのことを忘れたりするのだが、忘れることが損ではないくらい他のエピソードもすごく面白い。台湾に行ったことがない自分でも、街の熱気と当時の台湾が抱えていた問題を垣間見ることができた。

中国と揉めていた時代の台湾であることや、(祖父の血を引いているためか)少々暴力的な主人公にあまり共感できないという感想も聞こえてきそうだが、私は大いに主人公に若き日の苦悩と喜びを重ねあわせることができた。

 

そんな大衆文学的なエンターテイメント性もあるが、それだけでは傑作とは呼ばれないだろう。私が考える喝采の要素は、文中にあるこの主張であると感じている。

「~もしここで袖手傍観をしてしまったら、私はこれから先、臆病さを成長の証だと自分に偽って生きていくことになるだろう。人は成長しなければならない部分と、どうしたって成長できない部分と、成長してはいけない部分があると思う。その混合の比率が人格であり~」

 

主人公の成長に共感する一方で、祖父や宇文おじさんの”成長してはいけない部分”に大いに共感した。というよりは、嬉しかったのだ。こう考えてみると、登場人物の役割分担は素晴らしいの一言に尽きる。

 

戦争で多くの人を殺しても、忌み嫌われる祖父でも必ず人の大切な部分が残っているのだ。因縁に囚われてた宇文おじさんでも必ず人の大切な部分が残っているのだ。

 

世の中、人の人生は流れて、数年前の景色や関係はガラッと変わってしまう。
でもきっと大切なモノは流れずに心のどこかに留まっているはずだ。

 

それは見えなくてもいい。そこにあればいいのだ。
それを感じ取ることが人生だ。

喝采。

流

 

 

それでもあなたの根拠は根拠であり続けるか?


転職して3ヶ月。上司から詰められ続けるコンサルティング業界お決まりの局面に突入しました。

一言でも意見を発しようものなら、

それはなぜ?
それはどうして?
って言われて続けてます。。

考えて考え抜いて(全く無駄なんだけど)頭がショート寸前ってとこで言われるので、

いつも
「この先に大切なものが本当に見つかるの…??」
っと震えてます。
なんだか、東方神起ばりの歌詞が生まれる予感がするくらい突っ込まれてます。

どうして君を好きになってしまったんだろうといきなり言われてしまったレベルで困ってます。

もしかしたらこのまま詰められ続ければ、
年末くらいには歌ができあがってるんじゃないかと。
曲のタイトルは
「ロジックとファクトで繋がる絆」
になりそうです。
 
まぁ冗談はさておき、意見には人を動かすだけの強い根拠が必要であることを教えてくれてるんだと思います(とても粘り強く…)。

それほど神経質にならないといけないのがコンサルタントかと思うと多少ビビりますが、なるほど思考が深くなるわけだと納得しました。

あなたの意見を根拠で守ってあげてください。
そして、根拠がある意見を根拠がない自信で
支えてあげてください。

何か・誰かを動かすことが仕事の本質だと痛感しながら、一歩ずつ進んでいければと思います。


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戦後70年~特攻できなかった祖父が見た月の色は~

 

 

「祖父が予科練の特攻隊に所属していた。」

 

父親から17歳の時にその事実を聞いた。


その時、自分は高校を中退してスレていた年頃であったが、
色々なことを考えさせられた。

「国のために命を捨てる。そのために勉強して予科練に入った。」
自分と同じ年でそんなことを考えられるなんてと驚愕した記憶がある。
それから祖父を尊敬するようになった。

 

しかしながら、こう思ったこともあった。
「特攻を決意していたにも関わらず、その前に終戦してしまった事実とどう向き合ったのか?」

 

終戦前に特攻した友人と何を話したのだろう。
持っていた決意を胸に、玉音放送を聞いた時にどう思ったのだろう。

色々な想いが交錯していたのは確かだろう。
今となっては確かめようもないが、一生拭い切れない後悔を持っていたかもしれない。

 

だけど、生き抜いたのだ。激動の時代を。
それだけで充分すごいことなんじゃないかな。

 

国のために、何かをすることは色々な形でできると思う。
それは結局、生きているからできることなのだ。

 

林業を営んでいた祖父が心晴れやかに生きてきたことを今も願う。
そして、見上げる月は真っ白であったこと願う。

 

自分は祖父が特攻しなかったことで生まれたのだ。
反省も大事だけど、感謝も充分に込めて。これからも生きよう。

 

www.huffingtonpost.jp

もっと遠くまで

約3年間働いた会社を退職しました。

新卒として入社した会社ですが、更なる自分の目指す道を求めて新しい環境で働く予定です。
 
学生時代にキャバクラで働らいていた経験から”人のコミュニケーション”に携わりたいという想いと、新しい業界を造っていくという気概を踏まえて、今までの会社で働いていました。
 
振り返ってみるとホントに色々ありました。
 
企業では、
 
・デジタル領域の失敗
・業績悪化から起因する退職者続出
・組織変革、PR業への集中によるV字回復
・新しい競争優位性の確立
・様々な新規事業の挑戦
 
個人としては、
 
・あらゆる部署、職種の経験
 (メディア、データ分析、営業、新規事業、プロジェクトマネジメント・・)
・自身の能力不足と上長との確執による窓際への排斥
・不遇の中で勝ち得たMVP
 
激動の時期に入ったことで異端な経験を多く積ませていただきました。
その中で、従来とは異なった思想が育まれたのは決して偶然ではないと感じています。
会社に対しても、素晴らしい経験をさせてもらったと感謝しています。
 
社会人としての経験が高まる中で、ある強い願望と、それに対する現在の環境への一種の限界を感じ取りました。
 
願望は「世の中を変革するような大きなプロジェクトを実現する」ということ。
限界は「会社の器、解決方法の幅の狭さ」ということです。
 
その考えが次の環境を目指すきっかけとなりました。多くの学びがありましたが、大きな3点を最後にまとめました。
 
1)PRの本質は相手を好きになること
PRは企業がメディアを通して、社会にどう向き合っていくかという非常に重要な考え方です。
なので、PRが経営において与えるインパクトは大きいと感じています。広告が効きづらくなってきたことと合わせて非常に注目されているのも理解できます。
 
このPRという手法で最も重要なことはクライアント、メディアを好きになることでないかと思います。
 
クライアントの素晴らしさを伝える
メディアが求めていることを考える
 
それは、相手が好きで好きで、考えぬいているからこそできる技です。それこそがこの仕事の大きな醍醐味じゃないかと思うのです。
 
勿論、しっかりと伝わるわけじゃないし、伝えるために色々な手法を考えなければなりません。
コミュニケーションの本質がそこにあるような気がしました。
 
2)経営視点で仕事を考えることで大義の仕事を成し遂げ、自分を守れる
素晴らしい経営層だったと思います。しかしながら、上に言われるがままの被支配者として仕事をやっていては永遠にリーダーにはなれないと思いました。
常に経営層としての視点を持ち、何が善で正なのかを見極めて仕事に取り組む必要があります。
 
自身の間違いを認めず、誰かを否定するのみ。
他のためと言いつつ、結果的には自のため。
 
人間は弱い。それ故に生じた歪みが誰かを苦しめるのです。その歪みを受けた時、現状にそのまま流されずにいるためには、時には上層部とも戦うしかないのです。
 
間違った支配に屈しない強い志向が重要だと感じました。
 
3)属人的ということの脆さと強さ
大切なのは人材である。特にプロフェッショナルファームであれば尚のことです。ファームは常にそこの問題と向き合わなければなりません。色々なものをフォーマット化して属人的な部分を排除することも重要だと思います。
しかしながら、徹底的に属人化にすることで人材を定着させていくこともできるのではないかと感じました。
 
そのために何が重要かというと「社員を勝者のように扱う」ことだと思います。
プロフェッショナルに対して、きちんとした環境を与え、勝った見返りを与え、意思決定に参加させる。
 
勿論、成果を生み出すことが重要ですが、
そういったことが、会社にいる誇りに繋がっていくのではないかと感じました。
 
以上のような学びがあった一方、ドライに考えると企業の器としての限界、PRというコミュニケーションの限界を感じていました。
 
エージェンシーモデルは自転車操業のように、クライアントを絶えず獲得しなければ商売は成り立ちません。その前提を踏まえ、常に人が辞めていく組織風土と、異動の多さの2点から安定的にスキルを高められないという結論に達しました。
仕方のないことだとは思いますが、不安定を絶えず抱えていると企業本位の事業になってしまうのではないかと思います。
 
また、PRでの解決は限界があるように感じていました。メディアという第三者の存在と、クライアント側のPRに対する対応力など自分達には変えられないことが多いと思います。
 
自身のスキル不足は勿論あります。また、いずれどの問題もクリアになっていく人材力と業界の展望があるのですが、数年掛かると見積もると、そんなに待ってられないという判断になってしまいました。
 
より本質的な問題解決、縦横無尽に働ける環境を求めてコンサルティングファームを次の環境に選びました。
 
会社、人(同僚・クライアント)、働いた時間、全てに感謝をしています。
だからこそ、この経験を糧にさらなる飛躍を遂げたいと思っています。
 
最近漫画「キングダム」を読んでいて、
国統一を目指すこととビジネスの世界は極めて近いと思います。
高校中退からビジネスの世界で駆け上がることを目指す私にとって、下僕から天下の大將軍、不遇の中で育った経験から中華統一を目指す主人公たちに共感を覚えます。
 
最後に、人間の素晴らしい可能性を唄う言葉で締めくくります。
始皇帝になる政が放った言葉です。
 
人間の本質は――――――――「光」だ。
これからも頑張ろう。
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