アルジャーノンとギャツビーに見るイノセンス ~儚い夢を追うの美の不思議~
遂に「アルジャーノンに花束を」がドラマ化されてました。
元々大好きな小説だけに毎週欠かさず見てますが、実際はあまり人気がない様子です。。。
山下智久主演「アルジャーノンに花束を」第2話は7・9%
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/yomimono/drama/2015/04_06/hanataba/kiji/K20150420010210700.html
原作とドラマのシナリオが違うことに対して違和感を抱いているファンや、
山下智久の役回りを見てて嘆いているファンにとって面白いとは言えないかもしれません。ですが、これから咲人の頭が良くなっていき、色々なことを知っていく姿が楽しみです!
この物語を見ていると、同じくアメリカの代表的な作品である「華麗なるギャツビー」と共通のテーマがあるように感じます。それは「儚い夢を追いかけ続けるイノセンス」です。
それぞれの主人公は大きなコンプレックスを抱いており、それをバネに大きな夢を実現させようと、無謀とも言える大きな挑戦します。
ギャツビー
⇒貧乏育ちがお金持ちのお嬢様を手に入れるために、悪いことでお金を稼いで成り上がる。
チャーリィ(咲人)
⇒知的障害を持っていたため、母親に愛さなれなかった。頭が良くなる手術をして、天才的な頭脳を手に入れようとする。
2作品ともアメリカを舞台にしているため、
やはり「夢を追う」ということが徹底されているようです笑
でも、最後は本当の意味で手に入らない。結果的に大きな損失を被ってしまった主人公たちの最後はとても悲しくなります。
ですが、そのひたむきさ、苦しみながら欲しいものに手を伸ばそうとする姿に感動を覚えます。きっと純粋に夢を追う姿は、誰かに希望を与えるのではないかと思います。
色々な知識や経験を経て、無謀な純粋な夢を諦めてしまう。それが大人になることでもあるような気がします。
そんな青年のような、いつかに忘れてしまった「イノセンスな夢」を気付かせてくれる。だからこそ「名作」に挙げられるのではないでしょうか。
「それはあのとき我々の手からすり抜けていった。でもまだ大丈夫。明日はもっと速く走ろう。両腕をもっと先まで差し出そう。……そうすればある晴れた朝に――」
華麗なるギャツビーの最終章にある言葉を胸に。