戦後70年~特攻できなかった祖父が見た月の色は~
「祖父が予科練の特攻隊に所属していた。」
父親から17歳の時にその事実を聞いた。
その時、自分は高校を中退してスレていた年頃であったが、
色々なことを考えさせられた。
「国のために命を捨てる。そのために勉強して予科練に入った。」
自分と同じ年でそんなことを考えられるなんてと驚愕した記憶がある。
それから祖父を尊敬するようになった。
しかしながら、こう思ったこともあった。
「特攻を決意していたにも関わらず、その前に終戦してしまった事実とどう向き合ったのか?」
終戦前に特攻した友人と何を話したのだろう。
持っていた決意を胸に、玉音放送を聞いた時にどう思ったのだろう。
色々な想いが交錯していたのは確かだろう。
今となっては確かめようもないが、一生拭い切れない後悔を持っていたかもしれない。
だけど、生き抜いたのだ。激動の時代を。
それだけで充分すごいことなんじゃないかな。
国のために、何かをすることは色々な形でできると思う。
それは結局、生きているからできることなのだ。
林業を営んでいた祖父が心晴れやかに生きてきたことを今も願う。
そして、見上げる月は真っ白であったこと願う。
自分は祖父が特攻しなかったことで生まれたのだ。
反省も大事だけど、感謝も充分に込めて。これからも生きよう。